「地域を守る」という信念のもと、LPガスの安定供給に取り組む(熊谷燃料住設株式会社)
LPガスは、災害時に電力や都市ガスが途絶えても、復旧の可能性が高いインフラとして知られる。実際、東日本大震災でも早期に復旧し、避難所などで重要な役割を果たした。このため、当然ながらLPガス事業者には安定供給体制が求められる。そんな中、昭和27年の創業以来、薪炭から石油、LPガスへと変遷しながら燃料供給を続ける熊谷燃料住設株式会社(宮城県登米市)は、東日本大震災以前からBCPに着手し、「地域を守る」という信念で経営に取り組んできた。
東日本大震災以前からBCPに着手
2003年の三陸南地震、2008年の岩手・宮城内陸地震など、宮城県では多くの震災が発生しており、同社でも2003年から燃料のインフラ整備に取り組んでいた。
同社代表取締役社長の熊谷氏は「2008年に阪神・淡路大震災での経験を聞く機会があり、激甚災害の実情は当社の想定とは大きく異なることに驚き、本格的にBCPに取り組もうと決意しました。そこで、緊急時にお客様に対して『LP ガスの供給を絶やさない』ことをベースに、①LP ガスの非常時供給ルートの確立、②設備の復旧作業にあたるドライバーの確保、③車の確保、④防災倉庫に備蓄してあるLP ガス発電機の活用を主に検討し、2009年7月に最初のBCPが完成しました。従業員の協力体制が不可欠なため、文書化とともに、年2回(3月、9月)の訓練を制度化し、各人の役割分担を明確にしました。」と当時の経緯を語った。
東日本大震災当日、BCPは機能したのか?
BCPの策定から2年後の3月、東日本大震災が同社を襲う。津波は登米市に来ることはなかったが、大きな揺れによって停電が10日以上続き、日常生活は一変した。
熊谷氏は「幸いオフィスの備品は全て固定を済ませており、怪我をした従業員はいませんでした。その後、従業員はBCPをもとに滞りなく動くことができ、3日間で主要なお客様の安全点検を終えました。また、防災倉庫に備えてあった飲料水や非常食、石油ストーブなどや倉庫隣にある生活用水のタンクは、従業員やその家族、地域の皆様の支えになりました。こうした活動がお客様からの信頼を高めることにも繋がっていると確信しています。」と振り返る。
BCPは毎年見直しを実施
東日本大震災での被災経験をもとに、その後も社長自ら見直しを推進し、BCPの改善活動を行っている。設備面では、経済産業省の補助事業である被災地域石油ガス安定供給体制整備事業を活用し、大型発電機やLP ガスディスペンサー、LPガス自動車、衛星電話などを導入した。また、毎年7月にはBCP の見直しを行い、常にBCPを最新の状態に維持している。さらに、策定当初に制度化した年2回の訓練も欠かさず行っている。熊谷氏は「BCPを実行するのは従業員ですから、従業員の理解が必要です。」と従業員への周知の必要性を強調する。その上で、「発電機などの稼動訓練は早朝に行いますが、従業員が主体となって準備をしてくれます。地域のインフラに関連する当社の役割を理解してくれているのだと思っています。」と継続的な訓練の成果を語った。
「地域を守る」という信念
同社では、創業60周年に登米市に小型LP ガス発電機10台を寄贈するなど、地域貢献も積極的に行っている。また、地元のミニコミ誌やFM ラジオなどで同社が災害対策に力を入れていることをPRすることでお客様や地域に安心を与えている。今回の取材を通じて感じたことは、同社の事業継続を超えた、地域のインフラを担う企業としての「地域を守る」という強い信念である。
熊谷燃料住設株式会社
■事業内容:LPガスの製造及び販売、灯油、重油販売、住宅設備関連商品販売・施工、冷暖房機器販売、厨房機器販売、家電品販売、エアコン丸洗い
■本社:宮城県登米市
■社員数:未公開