工場壊滅の被害を乗り切る 津波被害から1週間で事業再開(株式会社オイルプラントナトリ)

リスク対策.com 2011年5月号掲載記事

東日本大震災で津波により壊滅的な被害を受けながらも短期間で事業を再開させた企業がある。宮城県名取市でリサイクル業を営むオイルプラントナトリ。地震発生直後の適切な避難指示と、あらかじめ定めておいた事業継続計画(BCP)に基づき1週間で事業を再開させた。

津波発生後の工場の様子(オイルプラントナトリ社員が撮影)

「次流嗅技(じりゅうきゅうぎ)」。同社が会社のスローガンに掲げている言葉だ。その場の環境を見極め、次の流れを読む意味だという。この言葉が、巨大地震から会社を救った。

海岸から1キロ程離れた場所にあるオイルプラントナトリは、地震発生から約1時間後に大津波に襲われた。当日、工場にいた星野豊常務は、数分間続いた揺れの後、停電となったため非常用発電機でTV をつけ、10 メートルの津波がくるかもしれないという情報を得た。地震発生時にTV やラジオで情報収集を行うことは、同社のBCP の中で決められている初動対応の1つだ。

工場の周辺には高台がなく、なだらかな丘陵地帯に工業団地やニュータウンが広がる。星野氏は、同じ工場にいた武田洋一社長と相談し、即座に全従業員に対して、会社から3キロほど離れた場所にあるイオンモールの屋上まで逃げることを指示した。

同社では、震度6弱程度の地震を想定してBCPを策定しており、10 メートルを超える津波が来ることは想定外だった。もちろん、3キロ先まで従業員を避難させることは、マニュアルにも載っていない。その状況下で対応できそうなぎりぎりの判断だった。津波は、イオンモール前を流れる増田川まで押し寄せたが従業員は全員無事だった。ただ、社員の中には家屋が流された人も何人かいた。

BCP に基づき復旧計画を策定

同社の事業は、工場からの廃油や汚泥、廃プラスチックなどの廃棄物を回収し、再生重油や固形燃料などに再資源化して販売するというもの。食用廃油からディーゼル燃料をつくるBDF(バイオ・ディーゼル・フューエル)事業にも取り組んでいる。取引先は、廃棄物の収集元である自動車工場や複合機の生産工場のほか、再生した資源(燃料)の販売先であるセメント工場や製紙工場など大企業が多い。

BCP の策定は、こうした取引先への製品・サービスの安定供給と、自然災害リスクへの備えとして3年ほど前から準備を開始し、今年1月末に完成したばかりだった。被災時でも継続すべき中核事業には、廃油の精製、油水加工(工場廃水の中和処理)、収集運搬、顧客対応を挙げ、それぞれ事業を行う上で必要となる設備や資材、情報、人材などをまとめ、数日〜最大30 日で事業を再開させる目標を立てていた(17 ページ図表1)。

しかし、東日本大震災で発生した津波では、18基あった大型タンクは、ほぼすべてが流され、油水分離処理施設などの機械設備も修理に数カ月を要する状態になった。24 台あった運搬連絡車両は半数が津波に飲まれた。唯一の救いは、工場の2階に置いてあったコンピューター・サーバーが無事だったことだ。

工場は立ち入ることもできない状況だったため、同社では14 日から登記上の本社がある民家に本社機能を移し、協力会社との連絡、被災状況の具体的な調査などを開始。同時にBCP に基づく復旧計画を策定し本格的な事業再開に向け動き出した。

復旧方針は、①二次災害の防止、②社会的要請、③社員の生活の確保の3点。まず、最優先業務として、自社工場から津波により各地に流れ出たタンクを回収し、火災や環境汚染など二次災害を防止する必要があった。社会的要請としては、被災したガソリンスタンドや、陸に上がった船からの廃油を回収する業務が生じた。そして、事業を継続することで社員の生活を確保しなければならなかった。

画像を確認 登記上、本社がある民家に機能を移転

画像を確認 津波で壊滅的な被害を受けた工場 (写真:オイルプラントナトリ)

廃油精製を他県へ依頼

BCP で定めた中核事業のうち、廃油の精製については、油水分離装置などの機械設備が壊れていたため、当面はあきらめざるを得なかった。しかし、回収した廃油を自社で精製するのではなく、他県のリサイクル会社まで運んで再生燃料(重油)にしてもらい、それを自社の取引先に届ける仕組みを構築することで、BCP における目標復旧時間(3日)と大差がない3月17 日から業務を再開させることに成功した。

再生処理を委託するには費用も生じたが、「自社の顧客には再生燃料として適正価格で買い取ってもらえるため採算は取れる」(星野氏)。仮に1キロリットルあたり20 円の処理費がかかったとしても、再生燃料として50 円で買い取ってもらえば、運搬費を差し引いても利益ができるというわけだ。

このビジネスモデルは、県内で被災した同業者にも提案。各社が回収してきた廃油を、いったん、オイルプラントナトリのタンクに集め、そこから他県のリサイクル会社に運び、再資源(燃料)化したものを各社の取引先に届けるという大きなビジネスサイクルが立ち上がった。

油水加工(工場廃水の中和処理)については、設備を復旧させなくても、容器となるタンク1つあれば、ある程度の品質が確保できるノウハウが同社にはあった。工場からの廃水は、油をはじめ、さまざまな成分が含まれている。それを、廃アルカリや、廃酸などと調和することでPH を調整し、不純物を沈殿化させ工場用水を取り出す。完成した水は、セメント工場などに費用を払って引き取ってもらっている。津波により何十メートルも位置がずれたタンクを仮の油水加工プラントとして復旧することで、地震発生10 日後の3月22 日には業務を開始した。どうしても自社での処理が難しいものは、秋田県の大手リサイクルメーカーへ依頼した。「日ごろから、仕事の一部をお願いしていたために助かった」(星野氏)。

このほかに、木くずや廃プラスチックの破砕や、固形燃料化の事業、BDF 事業などについては、BCP に基づき、当面、復旧は行わないことを決めた。「BCP で優先して行う事業を決めていなかったら、何からやっていいか途方に暮れていたと思う」と星野氏は振り返る。

資金繰りの計画も奏功

廃油や廃水を回収する体制はいち早く構築したものの、回収先の工場や、再生燃料として調達する工場が、事業が再開できない状況が続いた。それに伴い、収益も大幅に落ち込んだが、BCP の策定の過程で、売上が2分の1になるとの被災予測を立て、一定の手持ち資金を確保しておくなど資金対策を講じていたことで資金繰りの見通しがついた。それでも、予想をはるかに上回る復旧費がかかることから雇用面では厳しい選択にも迫られた。社員44 人のうち11 人が会社を去った。「できもしないことを言っても仕方ありませんから、給与面で厳しくなることを正直に伝え、社員一人一人に会社に残るか否かの意思を確認しました」(星野氏)。

今年4月、同社では採用が決まっていた新入社員を約束通り雇用した。再雇用を希望する社員についても、数人を採用する方針だ。

顧客企業の事業再開に伴い、工場の稼働率も順調に回復してきている。他社に依頼をしていた廃油の精製は5月中旬には自社の機械が復旧できる見通しがついた。「ここからが新たな出発」と星野氏は語る。

画像を確認 津波に飲み込まれた運搬車

画像を確認 津波で残った2つのタンクを生かして事業を再開

企業データ

株式会社オイルプラントナトリ
■事業内容:リサイクル業(収集運搬、中間処理)
■本社:宮城県名取市
■社員数:46 人(平成22 年6 月)

中核事業と目標復旧時間

中核事業 事業内容 目標復旧時間 責任者
油水加工 廃酸、廃アルカリ、廃油等を加工(混合・中和処理) 3日 生産部長
RB 精製 廃油を精製(油水分離処理) 30日 生産部長
SSC 等加工 廃油等を加工(混合・中和処理) 3日 生産部長
収集運搬 廃棄物の収集と自社加工品の運搬 3日 運送部担当
取締役
顧客対応 顧客との連絡、顧客データのバックアップ 1〜3日 営業部長

注1) 中核事業は油水加工とRB 精製とする。 
注2) 油水加工及びSSC 等加工の目標復旧時間は配管の一部破損の場合とする。
注3) RB 精製の目標復旧時間はボイラー本体の損壊はなく設備と配管の一部が破損した場合とする。

復旧途中の工場について説明する星野常務

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