湾岸危機から始まったリスク対策 駐在員3400人、出張者8万人を守る(株式会社日立製作所)

リスク対策.com 2016年3月号掲載記事

駐在員3400人、出張者8万人を守る

2011年11月、タイの大洪水で被災した日立製作所のグループ会社。日立製作所では、グループ代表拠点と共に現地で対応した(写真提供:日立製作所)

連結売上高約10兆円、連結従業員数約33万人という巨大企業グループを持つ日立製作所は、海外に駐在する日本人従業員が約3400人、海外への出張者が年間8万人にのぼる。安全対策をどのように行っているのか。同社リスクマネジメント部担当部長の椚田厚氏に聞いた。

同社のグループ会社は約1000社ある。このうち、国内企業275社(従業員数19万3200人)に対して海外企業は721社(13万9900人)と、海外が国内を大幅に上回る。同社リスクマネジメント本部リスクマネジメント部担当部長の椚田厚氏は「10年程前は、国内が約600社、海外が約400社だったのに対し、現在は総数こそ変わっていないが、国内は選択と集中により275社と半減し、逆に海外は大幅に増えた」と説明する。同社としては、今後さらにグローバル展開には力を入れていく方針だという。

海外に駐在する日本人社員数は、昨年2015年12月末時点で世界43カ国・3400人。内訳は、アジアが3分の2で、その半数を中国が占める。その他、北米・ヨーロッパが多いが、中東アフリカや中南米にも展開している。海外出張者になると、115カ国・8万人にのぼる。

これほど海外での駐在・出張者が多いと、海外で事故や事件に巻き込まれる数も相当数に上ると考えられるが、実際に被害に遭ったと報告があるのは毎年10件〜20件程度だという。具体的には、2011年が7件だったのに対し、2012年は13件、2013年は24件、2014年は22件、2015年は半減して13件と推移している。被害種別では盗難が圧倒的に多い。「幸いに重大な事件、事故には至っていないが、我々は、いつ何時、従業員の生命が危険にさらされるかという緊張感を持って安全管理に当たっている」と椚田氏は語気を強める。

画像を確認 左)日立グループ海外勤務者(2015年12月末時点)、右)日立グループ海外出張者(2014年度)(資料:日立製作所)

権限移譲と役割分担

同社グループのリスクマネジメント体制は、日立製作所本社が海外を含めた日立グループ全体を統括している。大きく「戦略」「財務」「人財」「法務・コミュニケーション」「リスクマネジメント」「情報システム」「営業・マーケティング」「生産」「調達」「研究開発」と10の部門に組織が分かれており、それぞれの部門が対応するリスクについて、日立グループ全体を統括している。


このうち、リスクマネジメント部門はリスクマネジメント統括本部の下に監査室とリスクマネジメント本部が置かれ、リスクマネジメント本部には、コンプライアンスなどを担当する部署と並んで、防災やBCP、海外における従業員の安全対策などを担当するリスクマネジメント部が配置されている。

リスクマネジメント部では、24時間365日体制で、海外における従業員の安全対策にあたっている。リスクマネジメント部の電話番号を全社員に公開しており、世界のどこからでも何かがあれば同部に電話が入る。また、日立グループの警備担当会社が24時間テレビやインターネットをモニターし、何か大きな事件があれば、第一報が同部に入る仕組みになっている。

万が一、緊急の事案が発生した場合の対応は、社長・本部長・および副本部長(リスクマネジメント本部長)の3人のうちの誰か1人とコンタクトして直ちにアクションが開始できるよう平時から体制を整えている。緊急時にはリスクマネジメント部の判断を基に、この国は渡航を禁止する、家族を帰す、社員を帰すといった安全対策を即断即決し実行できる体制にしている。

リスクマネジメント部のリスク対策担当は担当部長2人、スタッフが2人。体制が手薄に見えるかもしれないが、日本国内181の事業所(会社含む)と、国外12拠点には、リスク対策担当責任者を、正・副合わせて430人登録している。その430人と本社のリスクマネジメント部が、会社の電話、個人の携帯電話まで全て共有し、いつ何時でもお互いに連絡が取り合える体制を維持し、本社と事業部門それぞれの役割を分担することで、少人数でも効率的なリスクマネジメント体制を実現している。430人の多くは兼任とはいえ、500人近い体制でグループ全体の危機管理に対応していることになる。

画像を確認 本社リスクマネジメント体制と日立グループの危機管理体制(資料:日立製作所)

リスクマネジメント部の発足

リスクマネジメント部の発足の経緯は、1990年の湾岸危機までさかのぼる。サダム・フセインがクウェートに侵攻した際、多数の日本人が拘束されバクダッドまで連れて行かれ「人間の盾」とされた。その中には、日立グループの社員も含まれ、約4カ月もの間、拘束される事態となった。その後、アメリカ


を中心とする多国籍軍がイラク、クウェートに侵攻し、いよいよ1991年湾岸戦争が起きた。これらの対応の教訓として、常日頃から海外事案も含めたリスク対策に備えた専門部署が必要と当時の経営幹部が強く認識し、1991年にリスク対策の専門部署を設け、専任者を配置したのが出発点だ。それ以降、いろいろな震災・テロ・戦争・感染症パンデミック等を経験しながら対策のノウハウを蓄積して現在に至っている。

「リスクマネジメント部のミッションは、社員の安全確保と事業継続を図るということに尽きる」と椚田氏は説明する。ビジネスを推し進めていくために、リスク対策は必要な武器であるという認識に立ち、「リスク対策で安全第一だから危ないところに行くな、これはやめろというのではなくて、いかにして安全を確保しながらビジネスを推し進めていくかを事業部門と一緒に突き詰めることをミッションとしている」(椚田氏)。

画像を確認 リスクマネジメント部の沿革(資料:日立製作所)

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